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作風について

モーツァルト 作風

モーツァルトはクラッシック音楽の3大巨匠の一人であり、モーツァルトと並んで、ハイドン、ベートーヴェンがいます。ベートーヴェンはモーツァルトの影響を強く受けて師事していました。
モーツァルトとの出会いがベートーヴェンを変えたのです。同じ巨匠と呼ばれるベートーヴェンに影響を与えたモーツァルトの作風とは、どんなものだったのでしょうか。

モーツァルトが生涯で作った曲

神聖ローマ帝国皇室宮廷内作曲家、神聖ローマ帝国皇室クラヴィーア教師、ヴェローナのアカデミア・フィラルモニカ名誉楽長などの肩書きを持っていたモーツァルトですが、その生涯の中で、いくつもの曲をこの世に残しました。交響曲41本、作品番号のないものを合わせると46本、ピアノ曲27本、ヴアイオリン7本など、50本以上の協奏曲、弦楽四重奏曲23本、オペラが20本、ミサ曲が20本とされています。細かいものまで数えると、かなりの数が挙げられます。
どれもが素晴らしい評価を受け、天才と言われたモーツァルトの繊細克つ力強い作品ばかりで、聴く者全てに感動を与えてくれます。

モーツァルトが影響を受けた音楽家

ベートーヴェンに影響を与えたモーツァルトですが、彼もまた、他の音楽家の影響を強く受けていました。当時ヨーロッパで流行していた作曲家、ヨハン・シューベルトなどの様式を、クラヴサン曲を主として学びました。その後、ヨハン・クリスティアン・バッハのピアノ曲、管弦楽曲の両方から影響を受けるようになり、後期になると、私たちがよく知る、ヨハン・クリスティアン・バッハの師でもある、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの影響を強く受けることになります。ヨハン・ゼバスティアン・バッハは、他のバッハ一族から区別するためにも『大バッハ』と呼ばれています。

モーツァルトの曲調

モーツァルトのほとんどの作品が長調になっています。装飾音の多い、軽快で美しい曲が多く残されています。音楽にも流行があり、当時流行っていた音楽が影響しているもので、ロココ様式やギャラント様式と呼ばれています。普段モーツァルトが使っていたピアノの鍵盤が、現在のピアノの鍵盤が沈む深さの半分しか沈まないもので、かなり軽快に弾くことができたことから、彼の作る曲の作風に影響を与えたと考えられています。晩年に向かうにしたがい、それまでは軽快な曲だったのに対し、同じ長調でも深いもの哀しさを帯びた曲が増えてきます。短調の作品は極めて少ないにも関わらず、悲しい中にも雄々しさがあり、寂しくてもの哀しさを感じさがあふれている曲調になっていて、交響曲第40番ト短調に代表されるように、人気の高いものになっています。それまでの音楽の流行は、複数の違う動きのあるパートが調和し合って進行するポリフォニー音楽が主流だったのに対し、徐々にいくつものパートからなるのに一つの旋律と和音伴奏に分かれるホモフォニー音楽が主流になってきます。これに対しモーツァルトは、影響を受けていたバッハやヘンデルの曲を研究し、いくつもの旋律をそれぞれの独立性を保ちながらお互いに調和させて重ね合わせるという技法の対立法を使い、交響曲第41番終楽章などの曲を作り上げる手腕もありました。

何故長調の曲が多い?

モーツァルトの作った曲のほとんどが長調であるのはどうしてなのでしょうか。当時の作曲家達は、自分が作りたい曲を作るのではなく、依頼を受けて作るものでした。要するに、音楽職人のようなものです。芸人的な見方をされていた部分もありました。現在のように著作権が確立されていない時代でしたので、1曲作って報酬をもらうとそれきりだったようです。ですから公演などを開いて収入とします。後の時代に出てくるベートーヴェンの頃とは違い、フリーの作曲家として生活していける時代ではありませんでした。モーツァルトが各地を音楽旅行していた理由の一つとして、就職活動という意味合いもあったのです。こうして注文を受けて曲を作る時代でしたので、自分の思うような音楽を作ることができませんでした。必然的に人気があって注文の多かった、長調の曲を作らなければいけませんでした。当時の音楽の流行が長調の曲だったので、モーツァルトの作る曲も長調のものが多いのです。ウィーン時代の後半には、彼の作風も円熟さを増しますが、その頃にはモーツァルトの作る音楽の人気も下降気味で、あまり人々には受け入れられなくなっていました。収入が減り、生活は貧しくなりますが、そんな中でもモーツァルトは作曲をやめず、素晴らしい作品として今日まで演奏し続けられているのです。