モーツァルト,父,サリエリ,コロレド大司教,コンスタンツェ

周囲の人々について

モーツァルト

モーツァルトと深く関わりのあった人物を紹介していきます。
彼の人生にとって、どんな影響を与えた人物なのでしょうか。モーツァルトの音楽人生の中で、また、家族との関わりなどを紹介していきましょう。

父・レオポルト

ヨハン・ゲオルク・レオポルト・モーツァルト。これが彼の父親の名前です。
1719年にドイツのアウグスブルグに生まれ、1787年にこの世を去っています。父は、ヨーロッパ各地からザルツブルグに集まった音楽家の一人でヴァイオリン奏者でした。
几帳面な性格をしており、巧みな演奏技術が認められ、ザルツブルグ宮廷楽団の副学長になり、様々な音楽活動を行っていました。
モーツァルトが生まれた年、1756年に出版されたヴァイオリン教程は父によるもので、時代によって違う楽器演奏法の貴重な文献にもなっています。父は持っている音楽の知識や技術をモーツァルトに教え、やがてモーツァルトは父を越えてしまうのです。

コロレド大司教

ヒエロニムス・コロレド-マンスフェルトが大司教の名前です。
1732年に生まれ、1812年にこの世を去っています。大司教という呼び方は、我々からすると偉い牧師さんのようなイメージがありますが、そうではありません。大司教はかなりの権力者で、その土地の領主でした。コロレドが大司教として在位していたのは1777年から1803年の間です。
彼はモーツァルトの雇い主でもありました。宮廷音楽家として支払われる給料の金額に不満を持ったモーツァルトは、コロレド大司教にはむかいます。使用人が主人に牙をむいたのです。
これは許されることではありません。
給料の金額に不満を持ったとはいえ、それなりの報酬は貰っていたのですから。まして、大司教という大権力者を相手にたてついたのですから、せっかくの宮廷楽団を去る結果になってしまうのです。モーツァルトはこれを機会にフリーの音楽家の道へと進んでいくのです。

妻・コンスタンツェ

モーツァルトの妻、コンスタンツェは、彼が恋いこがれて愛し、失恋した女性の妹です。
父に結婚を大反対されたモーツァルトでしたが、1782年8月4日に聖シュテファン聖堂で結婚式を挙げます。失恋した相手の妹とはいえ、彼はコンスタンツェをとても愛したと言われています。
一方コンスタンツェは悪妻として名高く、軽薄で浪費癖があると言われています。自分の姉を愛し、オペラ歌手としての姉を公演で度々起用する夫に対し、不信感を持っても不思議ではありません。
彼女もまた、寂しかったのかもしれません。6人の子供に恵まれながらも4人の子をなくし、幸せだと思えなかったのかもしれません。モーツァルトがこの世を去り、未完成のままの曲を弟子に完成させたり、晩年になって再婚しますが、再婚相手にモーツァルトの伝記を書かせたりしているので、少なからず愛情はあったのでしょう。再婚後のコンスタンツェは良妻賢母で夫によく尽くし、経済的にも恵まれ、姉を経済的にも支えていたと言われています。80歳でこの世を去りましたが、夫と共に、モーツァルトの父であるレオポルトと同じ墓地に現在も眠っています。

作曲家・サリエリ

アントニオ・サリエリ。1750年にイタリアのレニャーゴに生まれ、1825年にこの世を去ったウィーンの作曲家です。幼い頃から音楽の才能を発揮し、16歳でウィーンの宮廷に招かれ、そのままその地に留まることになります。38歳で宮廷の作曲家に任命され、この世を去る直前の74歳まで、その地位を明け渡すことなくウィーンにいました。
ハイドンなどとも交友があり、教育者として幼い頃のベートーヴェンやシューベルト、リストにも指導をしていました。こうした地位にいる彼が有名になったのは、モーツァルトと対立したことにあります。モーツァルトの作品を盗作したり、彼の命を狙っているなどの噂が立ち上がり、実際モーツァルトなき後、疑いをかけられました。しかし、何一つ立証するものはなく、憶測にすぎません。サリエリは75歳でこの世を去るまで、長い間この疑惑に悩まされたのです。