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モーツァルトはどんな人?

人物像

クラッシック音楽に興味のない人でも、モーツァルトの名前くらいは知っているでしょう。彼の音楽は、リラックスできるためにストレスが溜まっているときや、胎教に良いと言われています。

モーツァルトの曲の作り方

バッハなどが作った曲の譜面を見ると、あちこち手直しした後が見て取れます。
一方、モーツァルトは記憶力の天才とも言われており、譜面を見ても訂正しているところがないと言われています。でも実際の譜面はあちこち訂正してあります。
しかし、実際に記憶力はズバ抜けているものがあったようです。彼は作曲するのも異常なくらいに早く、交響曲第36番は3日で書かれたことが分かっています。長々と考えられない彼の性格もあるのでしょう。その集中力はすごいものがあったと考えられます。

モーツァルトの人生

モーツァルトは音楽家の家の息子として生まれました。7人姉弟の末っ子として生を受け、音楽の才能を見いだされて音楽教育されたのです。
しかし、父親の期待が大きすぎて、かなり父親に反発したとも言われています。
その反発心が逆に音楽心への開花のきっかけになったのかもしれません。当時の音楽家は、自分の作りたい曲を作るのではなく、依頼されて曲を作っていました。モーツァルトが現在まで語り継がれる名音楽家になったのも、そういう時代背景が合っていたのかもしれません。

モーツァルトの恋

モーツァルトは結婚する前、とてもとても愛した女性がいました。
それはアロイージアという女性です。作曲家のウェーバーの叔父にあたる宮廷に仕える写楽屋、フリードリン・ウェーバーとモーツァルトの出会いでウェーバー家に出入りするようになり、その娘、アロイージアと出会うことにもなるのです。アロイージアはコルラトゥーラ・ソプラノのオペラ歌手で、宮廷で歌っていました。『愛らしく、綺麗な声をしている』と、父に宛てた手紙にもしたためています。
『彼女は生まれつきの持ち前としてカンタービレから離れることはありません』と、アロイージアの歌唱力を絶賛しています。やがてモーツァルトは、アロイージアに自分が作曲したオペラをイタリアに行って歌うという構想を抱き、父レオポルトにイタリアにオファーしてくれるよう頼みますが、実現しませんでした。片時も彼女から離れたくなかったのでしょう。
音楽旅行に同行していた母親から父親に宛てた手紙に、モーツァルトがアロイージアに夢中になっている、それは彼のためにはならないとの内容のものを送り、父親から早くパリに旅立つように言われた彼は、恐らく渋々旅立ったことでしょう。

実らなかった恋

パリについてからも、モーツァルトはアロイージアに手紙を送っています。
けれど一度も返事は貰えていません。その後旅先で母を失い、就職もできずに(音楽家として)ザルツブルグに帰ります。ザルツブルグに戻る途中、ウェーバー家を訪れアロイージアにプロポーズします。けれど、あっさりと断られてしまい、失意の中でザルツブルグに帰り、宮廷オルガニストとして過ごすことになります。後に、アロイージアの妹、コンスタンツェと結婚することになろうとは、このときのモーツァルトは考えてもいなかったでしょう。

モーツァルトもタジタジ

恋多き男としても有名なモーツァルトですが、反対に、言い寄られて困った経験もあるようです。
アウエルン・ハンマーという女性で、彼のピアノの生徒でした。毎日2時間のレッスンでしたが、彼女はもっと一緒にいたいと困ったことを言い始め、愛の告白を受け、モーツァルトはそれから逃れようと必死になりました。彼女の容姿が醜いため、毛嫌いをしていたようです。
しかし、ピアノの腕は認めていたようで、彼女のために『2台のクラヴィーアのためのソナタ 二長調』を作曲し、2人で連弾をして大成功をおさめています。